すらいむがあらわれた

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日本人ムスリムのエッセーから宗教観について考えた

2019年11月30日に日本最大のモスク「東京ジャーミィ」のバザーがあると知って見に行って来た。

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モスクの中を見られた。イスラームの建築や意匠が素敵。

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個人的には他にも期待していたことがある。東京ジャーミィではイスラームについて説明した冊子をもらえるらしいと聞いていた。イスラームについてはたくさん研究書が出てるだろうけど、モスクで配っている冊子の内容が知りたかった。

館内で以下の冊子を配布していてもらうことができた。

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上の2冊がイスラームの基礎知識を解説した冊子。結構分厚くてまだ部分的にしか読めていない。

インパクトがあったのは下の1冊「イスラームにおける人権」。 これは薄い冊子なのだけど学者のような人から社会人や学生などいろんな立場の人がイスラームについて書いた文章が載っていた。

特にびっくりしたのが以下の2ヶ所。

これは社会人2年目の人の書いたもの。

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イスラム教徒ではない友人や知人といると確固たる神様がいない人生は一体どのようなものなのだろうかと考えることがある。私は耐えられる気がしない。自分自身で喜怒哀楽や全事象を処理しなければならないのだろうか。最終的にすがるものが自分自身という孤独を私は乗り越えられるのか。そう考えると怖くなる。

私は「喜怒哀楽や全事象を処理」、「最終的にすがるものが自分自身」は大人の常識くらいに思っていました……。そうするしかないものだと。

これを読んだだけでムスリムはだいぶ価値観が違うなと感じたのだがもっと強烈だったのが、次の中学生か高校生くらいの人の書いたもの。

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ふと「なぜ人は生きるのか?」と考 えたことがある。この問いに対する答え は、「アッラーが私たちを生かしてくだ さる限り、アッラーのために私たちは生 きる。それが私たちに与えられた慈悲に 対してできることだから」というものだ った。わりと悩まずにすぐ答えが出たこ とに私は驚いた。

ひええ。一読してついていけないと思った……。

さらに、

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宗教を持たない人からは 「戒律が色々あって厳しそう」という声 も聞いたりするが、そんなことはない。 皆さんも想像してみてほしい。自分の好 きな人が「私のために1日5回、5分で いいから祈っていてほしい。それがあな たのためになるから。」と言われたらそ うするのではないだろうか。

自分の好きな人を宗教の神様に例えるとか、その人が祈りを求めてくるとかなんでそんな考えに至るのかわからない。

この冊子に文章を書いた人はきっととても敬虔な信者なのだろうけど、一般的な日本的神仏混合の宗教観だと自覚する私にはとても奇異なものに見えた。

私がこういう冊子を読もうと思ったのは、宗教とは何かをちゃんと考えたいなと思っていたからだ。

かなり昔、たしか山本七平という人の書いた本の中に「日本人にとっての宗教は世間だ」といった文章があった記憶がある。(誰の本だったか記憶違いかもしれないが)

その本を読んだ当時は世間が宗教?何を言っているんだ?日本には仏教も神道もあるじゃないか、と思っていたのだ。

最近になってようやく意味がわかりかけてきた気がしている。日本は文化としての宗教は多様で充実している。しかし社会規範、モラル、心の拠り所としての宗教が欠けている。世間の風潮はころころ変わる。拠り所にするにはあまりにも頼りない。

ここ数年でますます社会が不安定になってきている中で心の拠り所を求める人たちが増えたと感じる。そう言った人たちが偏見や過激思想に走ってしまっているのではないか。

また、日本で宗教を求めるとすると身近なのは仏教なのだが、仏教は基本的に修行をもとめる。そして因果応報の価値観である。これではむしろ自己責任をもとめる世間の風潮の根拠になってしまっていて、心の拠り所にできない人も多いだろう。

そう考えてみると、イスラームの「アッラーが私を生かしてくださる」という思想はムスリムにとっては心の拠り所にしやすいものなのかもしれない。

私はすでに日本的宗教観を持っておりそれを捨てる気はないし、イスラームのファッションやデザインには興味があるけれど宗教の思想は受け入れられなそうだ。

そこで仏教にイスラームのような考え方はないのか調べてみた。

浄土真宗というメジャーな宗派がある。ここは開祖である親鸞の「悪人正機説」で有名である。「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」の宗派だ。

善人とは仏教の修行をした人。つまり修行する余裕がある金持ちである。悪人とは日々の生活に追われて修行ができない、戒律もまもりきれない貧しい人々をさす。貧しい人々は修行ができないので救われない。

これを浄土真宗では人間はあらかじめ阿弥陀様に救われている、修行は不要、阿弥陀様を信じていれば浄土に行けるとしているようだ。

これは阿弥陀様が「生きていてえらい!」と言ってくれるようなものではないだろうか?

日本で心の拠り所になり得る宗教を選ぶなら浄土真宗がいいのではないだろうか。個人的には曼荼羅が好きなので密教系もいいし、禅宗もストイックで好きなので、しばらく伝統仏教をいろいろ調べてみようかなと思う。