すらいむがあらわれた

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日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

フィリピンに興味があったところに、「第9回開高健ノンフィクション賞受賞作」でこんな本が出ていると知って読んでみた。


フィリピンには持ち金を失って路頭に迷い、フィリピンの人の好意にすがって暮らす日本人たちがいるのだという。
彼らは教会に寝泊まりしたり、フィリピンの小さな店で仕事と食事を貰い、なんとか生き延びている。
この本はそういった人たちを紹介することで、フィリピン人の親切さ、暖かさと翻って日本社会の冷たさを描こうとしているらしいのだが、正直いってほぼ賛成できなかった。


私の感想としては、この本に出てきた「困窮邦人」の多くは日本で親類縁者にひととおり迷惑をかけた結果、日本にいづらくなって日本を捨てた、いわば逃げた人たちであって、こういう人たちが「日本を捨てた」と称したところでどうとも思わない。
日本に居づらくなったのは日本にいたころからその人の行動にそれなりの原因があり、そのためやはりフィリピンに行っても困窮しているようにみえる。まともに仕事がつづかなかったり、金目当てのフィリピン女性に貢いで持ち金を失ったりとか。


唯一、この本の一番最後で紹介されている日本人は「日本を捨てた」人と言っていい例かもしれない。端から見れば特に問題のなかった日本の仕事と家族を捨ててフィリピンに渡った人だ。まあフィリピン人ホステスに入れ込んだ結果、という所は本に出てくる他の日本人と変わらないのだが。この人だけは日本で生活を破綻させておらず、フィリピンに来た後に結局フィリピン妻と別れた上事業に失敗して金を失ったものの、自分で自炊をして暮らしたり、現地の日本人友達と仲良くして、それなりに楽しく暮らしているようだった。
この人が家族に行った仕打ちを考えるととうてい味方をする気分にはなれないけれど。


読んだ後、ネットでいくつかこの本の感想を見たのだが、どれも基本的にはこの「困窮法人」に同情的で、日本は自己責任を押し付ける冷たい国だ、と書いていてびっくりした。
本に出ている人の大半は高齢の親に多額の借金を押し付けて逃げているのにだ。そして親はそれでも息子の心配をしている。これで日本は冷たい国だというのだろうか?


この本の作者、水谷氏は日本は生きづらい国になっていると仮定し、その仮定をフィリピンでフィリピン人の好意を受けながら生きる日本人の姿を通じて立証しようとしていたらしい。あとがきに書かれているが、どうやらその試みはうまくいかなかったようだ。水谷氏は困窮邦人を取材しているうちに「だからあなたたちは困窮するんだ」という気持ちがでてきてしまったらしい。それでも水谷氏は日本は閉塞感や人間関係の希薄さがあると書き、本を締めているのだけれど、むしろその閉塞感や人間関係の希薄さの根拠を問いたい。この本で書かれているフィリピンに逃げていった日本人たちは親類縁者がちゃんといる人たちでけっして無縁で生きていた人たちではないからだ。日本で親切な人たちからの援助を使い切ったあげくフィリピンに渡り、フィリピンでも人の援助を使い切りいずれまだどこかに追い出されるのだろうではないだろうか。